ブログアーカイブ 2009~2011
ホテル椿館本館での宴会、最後にビンゴゲームを行い楽しく笑ってひとときを過ごすことが出来ました。
宴会の後、ホテルのロビーで伊予水軍太鼓の勇壮な響きを聞き、全身を使った打ち手の動きに感心をしました。
翌朝はとてもよい天気で、松山城へ行こうと思い電車で大街道まで出て、ロープウエイ乗り場に行く途中に『秋山兄弟誕生の地』と矢印があるのが目に付きました。
見学時間前だったにもかかわらず掃除をしていた女性が、開けてくださり熱心に説明し案内していただきました。
200mほど歩くとロープウエイ乗り場に着きました。
城山に上がる途中、ほとんどが照葉樹、原始の木がたくさん残っていることに驚きました。
何度も来ているのに そのとき其の時の気分で見るもの感じるものが違ってきます。
そして椎の実がたくさん落ちているのを見つけ、孫の土産に拾いました。
私が小さかった頃は風が強く吹いた朝は、早起きをして椎の実を拾いに行ったものです。
秋日和というか、小春日和といったほうがよいでしょうか、よいお天気で気分爽快でリフトで降りて帰路に着きました。
その何%引きが乱数表でパソコンから出た数字で決まるということです。
今年の初めに年末ジャンボ宝くじを販売所で調べてもらったら、お店の人が『高額が当たっていますよ。広島で換金してください』と囁いてくれました。
何かいいことの起こる前触れだったのでしょうか?
一年草なので種が飛んで翌年咲くようです。
この暑い中ご苦労さんと思いながら、私も電話番をしていました。
また、残念なことに登山道が舗装されていて舗装の油くさい臭いがしていました。
途中には雪で流されたと思われる舗装がずり落ちた箇所がいくつもあり、自然のままの道のほうがよかったのではないでしょうか。
写真は登山途中に咲いていた時期はずれの残り花“ささゆり”です。
その方からの招待で是非にということで広島のK先生と共に伺いました。
私が若い頃、共に稽古に通っていた可愛いお嬢さん達が、還暦ということを聞き自分が自分の歳を忘れていることに恥ずかしさを覚えました。
御園棚での点前は落ち着かれたきれいな点前で久し振りのお茶が本当においしくて、おいしいといったら半東さんが、おいしいと言っていただくのが一番うれしいと喜んでくださり、二服めも頂戴して至福のひと時を過ごさせていただきました。
本当に悲惨な限りです。
今日4月28日やっと結果が出ました。
社会全体が悪いようではどうしようも無いことを…
良い一日でした。
きっとほっとする時間があるように思います。
今年は一向にその便りが届きません。暖かい呉では想像もつかないほどの豪雪のようです。
電話やわざわざおいでくださった修理のご依頼をお断りするのが、非常に心苦しい思いをいたしております。
私が若い頃お茶を習っていた先生の同門にK女史がいらっしゃいました。
今は熱心にお茶を教える先生になっておられます。
此のたび、淡交会(裏千家)の月釜の当番が廻ってきたということで、お茶券を頂き久しぶりにお茶席に通していただきました。
知り合いの人も多く、楽しくひと時を過ごしました。
軸、花入、茶碗、水指、釜、棚、全て素晴しい物ばかりでテレビのお宝番組が頭によぎり苦笑する様でした。
濃茶席には花がない時期だけに黄色く紅葉したまんさくが古銅の花入れ入っていました。
薄茶席には赤と紫に紅葉したコバノズイナ(リョウブ)と蕾のアシズリノジギクが、ひさごの花入れに入っていました。
大宗匠の“和以為貴”の書とともに客をもてなしていました。
写真に色が出ないのが残念です。
朝礼で安全の話をして注意を促しています。
細々とですが毎年、線香花火のように咲いてくれています。
(写真:座禅草)
吾亦紅、おけらなども探さないと目につかないくらいに少なくなっていました。
上に伸びている芽を切って横に枝を這わそうとしていますがネット全体に茂るのはもう少し時間がかかるでしょう。
大きな花と違って小さな山あじさいは近頃愛好家が増えているそうです。
挿し木されてはいかがでしょう。
プランターの底に2㎝ほどの土を敷きその上に鶏糞をのせて、後はプランターの上まで土を入れゴーヤの苗を植えてみました。
庄原の奥地(旧東城町千鳥)でしたが、車で行くことができるので多くの人がお花見をされていました。
偶然にも広島の知り合いにお会いしました。
そして私も元気をもらって後にしました。
季節の移ろいを楽しんでいますが、今の社会情勢は不安が残るばかりです。
われわれは何党でもいいから景気の回復と明るい社会を待ち望んでいますのに。
4年前総領町のくじ引きで当たり購入したものですが、買って来た儘の鉢で育てています。
小さくて可哀相と思うのですが、植え替えたら出なくなるのではないかと心配してそのままで育てています。
総領町では2月13日から見せてくれるようですが、次週の20日のほうがよく咲いていると思います。
斜面に群がって咲いているのをみれば本当に愛らしく、春が来たと思います。
芭蕉は 奥の細道で
“月日は百代の過客にて行きかう年も又旅人なり”
“天地は万物の逆旅(げきりょ)にして光陰は百代の過客なり”
と同じような一説があります。
“而して 浮世は夢の如し 歓を為すこと 幾何ぞ”と続き
“舟の上に生涯を浮かべ 馬の口とらへて老いを迎ふるものは日々旅にして 旅を梄(すみか)とす”
(写真:竜金花(リュウキンカ) 1月に咲く花)
その中の給排水、給湯、消火工事をさせていただきました完成時の写真です。
浴槽位置が変わり、洗い場も広くなり、一人ひとりの使い勝手が以前よりよくなったようです。
写真の洗面所も横一列になり明るく使えるようです。
先日、君田町の神野瀬川沿いを通って高野町に出ました。
この川沿いは山側の岩肌に大文字草(ダイモンジソウ)がたくさん自生しています。
今回は時期がまだ早いので大文字草の花を見ることはできませんでしたが、釣船草(ツリブネソウ)の花の道でした。
どこまで行っても釣船草でした。
もうしばらくすれば種になってはじけ 又来年多くの花を咲かせるでしょう。
途中、高暮ダムのほとりに慰霊碑があり、ちょうど慰霊祭をされていました。
朝鮮半島から戦前、戦中にかけてダムの工事に携わり亡くなった多くの人たちを祭っています。
チマチョゴリを着た高校生たちも参列していました。
ダム湖はきれいな水を貯えていますが、この山の中さぞかし困難な工事だったことと思いました。
高野町に出るまでの山道には伏し黒センノウが多く咲いていました。
また、雁金草(カリガネソウ)のブルーの花を山の中で始めて目にしました。
触るととてもきつくにおいがしますが花は小さいきれいな花です。
(画像は雁金草です。)
盆休みの8月14日、島根県と広島県の県境にある雲月山に大南蛮煙管(オオナンバンキセル)を探しに行ってきました。開花時期は7月から8月末。
この時期の雲月山は夏の花、初秋の花がたくさん咲いています。
ぎぼし(白)、桔梗(紫)女郎花(黄)松虫草(青紫)吾亦紅(赤)撫子(白、ピンク)釣鐘にんじん(青紫)男郎花(薄い紫がかかった白)萩、そしてカヤの間に隠れるように咲いている大南蛮煙管。
色とりどりに咲いていました。
この雲月山には、牛が放牧されていて、山に登ると黒い牛が十数頭集まって草を食んでいるのが見られました。
草原の山の景色がきれいで、風が気持ちよく、気分がさわやかになり、一杯のお茶がとてもおいしく感じられます。
途中、蝶を探している人と出会い、しじみ蝶の一種類を見せてもらいました。
吾亦紅に集まる蝶で、雲月山の辺りが南限だと言われていました。
この日はうす曇で、直射日光に当たらず、二時間ほどのハイキングでしたが、気分爽快で帰ることができました。
三年前に四国にキレンゲショウマの花を見に行った帰りに山の中の山野草店で買って帰ったものです。
山でキレンゲショウマの花を見ての帰りだったために黄という字がついてないだけのレンゲショウマの花との違いに山の花を育てることができるかと危惧しながら買い求めました。
“レンゲショウマ”は薄い紫がほんの少しかかった白色のうつむいて咲く花です。
我が家で小さな鉢の中で咲くのを家族だけで見るよりは花の好きな人に見てもらえばと思い、和菓子屋さん(博美屋さんの本店)の店先に置いてもらっています。
どのような花か興味のある方は行ってみてください。
きっと可憐な花にあえると思います。
でも一週間くらいで花の時期は済んでしまいます。
キレンゲショウマ(ユキノシタ科)
レンゲショウマ (キンポウゲ科)
昨年と同じバスガイドで向いました。
ガイドさんの名前は『土井さん』普通のおばさん?のようですが、皆の前での笑顔での接し方、酔っ払いとのやりとり個々の会話、そして地理の先生や歴史の先生以上の知識等、素晴らしいものを持っていると感心させられました。
ガイドになる人が中々いないと聞きましたが、この様なベテランのガイドさんにまだまだ頑張ってもらいたいものです。
(大宰府天満宮よりエスカレーターで上った所の九州国立博物館前で土井ガイドと一緒に… 隣りは安永さんです。)